スリランカで感じること

我々が海外旅行をして楽しいと思うのは、日本と違った歴史、文化、風景、生物、民族、言葉、食べ物などに触れ、新しい体験が得られるからであると思う。

そして、その国の慣習・ルールに従うのもまた旅の趣でもある。

例えば、ここスリランカでは、ライス&カレーを手で食べる習慣がある。

これは現地の人が食生活において、長年実践して来て、今も延々と続けていることで、日本人の感覚から「手で食べるなんて」って言う筋合いのものではなく、食文化として尊重し、理解すべきことである。

それで、その文化に触れたいなら、やってみるのも良い体験になる。

一方で、スリランカでは、カラスへの餌やり、信号無視、ゴミの投棄などを平気で行う人も多い。

これは、文化でもなく、尊重したり、理解したりするものでもない。これは、ルールがないのか、慣れてないのか、またはルールを無視した行動であり、我々からは、黙って見過ごすのか、または苦情を言うのか、どちらかを選ぶことになる。

この話題を出すと、「それがあなたにどんな問題を生じているのか」(大きなお世話だ)とか、「そんなに嫌なら、日本に帰ったら」と反発を頂戴することもある。

「嫌」と言うより、日本との違いを感じることで、それを知ってもらい、良い国になって欲しいと願い、苦言を言うのである。

スリランカでは、まだまだルール作りが出来ていないし、出来てても、それを徹底する雰囲気がない。

国民の一人一人の意識を変えて行くには、家庭や学校での教育が必要で、それにはまだまだ時間がかかりそうである。

スリランカでは、敬虔な仏教徒が多く、毎日ロードブッダを崇めている。

この宗教の立場を利用して教育してはどうかと思うが、なかなかそうは行かない。

カラスは生き物だから餌を与えるのは良いこと、仏教には信号のようなルールはない、仏教徒(特に出家信者)の既得権益(特権)を守るためにはこのままがいいと言った感じ。

日本でもこの種の問題はある。カラス、イノシシ、猫に餌をやる人、ゴミ屋敷、信号無視も日常茶飯事。

だけど、日本は条例などで、これらの人々の考えを改めてもらう努力をしている。(いろんな考え方の人がいるのは確かであるが、正しい判断基準を持ってもらうことが必要)

ここスリランカでも、個人意識レベルの向上を目指し、真に輝ける島の国になって欲しいものである。

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